2011年09月11日
災害ボランティア‥vol.3
今回は藤岡市在住の主婦、近藤さんが立ち上げた『群馬藤岡災害ボランティアサークル』のバスツアーに参加させていただきました。
個人で行くとなると交通費でかなりの出費となりますが、
こうやってバスツアーを企画してくださるとわずかな参加費で済みます(今回も3000円の参加費でした)。
とは言っても赤字だそうで・・いろんな方々の善意によって支えられているそうです。
ちなみに、スポンサー募集だそうです(^^)
そして今回は3月11日からちょうど半年。
区切りの日だけど、震災での行方不明者がまだ3千人以上。
避難所や仮設住宅で生活されている方々は大勢いらっしゃいます。
元の生活に戻るにはまだ遠い道のりです。
まだまだ復興支援が必要です!
私自身は5月の仙台市若林区、7月の宮城県岩沼市に引き続き今回も宮城県での活動となりました。
現在、行政のボランティアセンター(VC)は閉鎖されており、
今は民間でVCを継続されているとのことで、今回お世話になったのは仙台市宮城野区にある津波復興支援センターさんでした。

(一枚120円もする名札シール・・濡れても何度も使えます!)
今回の藤岡バスツアーでは25人の方々(内10人の方々が初めて)の参加でしたが、
2つのグループに分かれての活動となりました。
その一つのグループが10人(男性8人・女性2人)で編成され、
なんと!(近藤さんのご指名により)私がチームリーダーを任されることになりました。
私たちのグループが活動したのは、ある農家さんの畑の再生のお手伝い。
一見、ガレキは撤去されキレイに見えるのですが、
実際に畑にして作物を育てるとなると見えない敵がいるのです。
まずは、塩害!
これは何度も畑を耕しながら塩分を地中に沈めていくしかないそうです。
しかも、質のいい土壌は津波ですべて流されたそうです。
それでもこの農家さん(ご夫婦)は『畑があるだけ私たちはまだマシ』と再生を目指しています。
もう一つの見えない敵(よく見ると見えるけど)は、畑の中に入り込んだ細かなガラスの破片だったり金属片、紙や木くず、そして石。
この畑の敵をスコップなのどで掘り起し回収撤去するのが農家さんから依頼された私たちの仕事です。

(手前のコンクリート部分は家が建っていた場所です・・根こそぎ流されて残っていたのはコンクリートのお風呂部分だけでした)
仙台へ向かう途中、
雨が降ってきて活動も危ぶまれましたが、
現地へ着いた時には雨は止んでいて、それから一切降ることもなく
そして晴れることもなく・・
適当に涼しげな風も吹いていて、ボランティア活動するには最高のお天気となりました

依頼主の農家さん宅に到着したときはご主人さまだけでしたが、途中から奥様も車で駆けつけ合流。
私たちと一緒に作業をしていただきました。
この奥さま、よくしゃべる方(^^)
そして何よりも明るい方!
とっても前向き!
徐々に畑で作物を収穫出来てはいるのですが、
やはり塩分濃度が高く、市場へは売り出せないとのこと。
でも、地域の販売所で少しは売れるということで(売値は微々たるもの)『諦めないで頑張れば何とかなるっちゃ!』と奥さま。


『茄子は震災以前よりも大きく育った』と奥さま。。
作業している間も我々に何度も感謝の言葉をかけてくださいました。
『本当に有難いわ!』
『夢のようです!』
『ボランティアさんたちのおかげで、また野菜が作れます!』
お昼は、ブルーシートを用意してくださり・・
『みなさん、靴を脱ぐだけで疲れが取れますよ』
『ささ、みんなで座って一緒に食べましょう』
と10人とご主人さま、奥さま一緒のお昼となりました
しかも我々におにぎりを作って持ってきてくれました。
『宮城の美味しいお米で作ったおにぎりですよ~♪』と奥さま。

シソ梅のおにぎりでした。
大変美味しかったです!
ごちそうさまでした
食後は、
津波で被災された当時の話、お隣の集落では70人が亡くなられたというお話・・
『我々は生き残れただけでも儲けもん!』と話す奥さま。
いろんな話をしてくださいました。
ご主人さまの話で面白かったのが・・
普段(震災前)この辺の上空では毎日のように自衛隊のヘリコプターが飛んでいたそうで、
いつも『うるせ~なぁ!』
『無駄な税金ばっか使いやがって!』と思ってたらしいのですが、
震災後は自衛隊の皆さんのおかげで、ガレキ撤去やら遺体捜索やら炊き出しなど・・でとっても助かって感謝しているということで
『あの時は、あんな風に思ってしまって悪いことしちゃったな・・』
と話されてました(^^)
午後は3時頃までの作業でした。
結局、10人がかりでも最後までは終えることが出来ませんでした。
でもご主人さまも奥さまも
『こんなにもやっていただきほんと助かりました!』
『こんな素敵な皆さんと出逢えて、生きてて良かったわ~!』と。
最後は快く記念撮影もさせて頂きました。

(左から3番目がご主人さま、その下が奥さま)
出発の時も
何度も『ありがとう!ありがとう!』と言いいながら見送ってくださいました。

遠藤さん、こちらこそお世話になりました。
お二人の力強いその笑顔!
私たちが逆に励まされました。
一生忘れません。
ありがとうございました。
個人で行くとなると交通費でかなりの出費となりますが、
こうやってバスツアーを企画してくださるとわずかな参加費で済みます(今回も3000円の参加費でした)。
とは言っても赤字だそうで・・いろんな方々の善意によって支えられているそうです。
ちなみに、スポンサー募集だそうです(^^)
そして今回は3月11日からちょうど半年。
区切りの日だけど、震災での行方不明者がまだ3千人以上。
避難所や仮設住宅で生活されている方々は大勢いらっしゃいます。
元の生活に戻るにはまだ遠い道のりです。
まだまだ復興支援が必要です!
私自身は5月の仙台市若林区、7月の宮城県岩沼市に引き続き今回も宮城県での活動となりました。
現在、行政のボランティアセンター(VC)は閉鎖されており、
今は民間でVCを継続されているとのことで、今回お世話になったのは仙台市宮城野区にある津波復興支援センターさんでした。
(一枚120円もする名札シール・・濡れても何度も使えます!)
今回の藤岡バスツアーでは25人の方々(内10人の方々が初めて)の参加でしたが、
2つのグループに分かれての活動となりました。
その一つのグループが10人(男性8人・女性2人)で編成され、
なんと!(近藤さんのご指名により)私がチームリーダーを任されることになりました。
私たちのグループが活動したのは、ある農家さんの畑の再生のお手伝い。
一見、ガレキは撤去されキレイに見えるのですが、
実際に畑にして作物を育てるとなると見えない敵がいるのです。
まずは、塩害!
これは何度も畑を耕しながら塩分を地中に沈めていくしかないそうです。
しかも、質のいい土壌は津波ですべて流されたそうです。
それでもこの農家さん(ご夫婦)は『畑があるだけ私たちはまだマシ』と再生を目指しています。
もう一つの見えない敵(よく見ると見えるけど)は、畑の中に入り込んだ細かなガラスの破片だったり金属片、紙や木くず、そして石。
この畑の敵をスコップなのどで掘り起し回収撤去するのが農家さんから依頼された私たちの仕事です。
(手前のコンクリート部分は家が建っていた場所です・・根こそぎ流されて残っていたのはコンクリートのお風呂部分だけでした)
仙台へ向かう途中、

現地へ着いた時には雨は止んでいて、それから一切降ることもなく
そして晴れることもなく・・
適当に涼しげな風も吹いていて、ボランティア活動するには最高のお天気となりました

依頼主の農家さん宅に到着したときはご主人さまだけでしたが、途中から奥様も車で駆けつけ合流。
私たちと一緒に作業をしていただきました。
この奥さま、よくしゃべる方(^^)
そして何よりも明るい方!
とっても前向き!
徐々に畑で作物を収穫出来てはいるのですが、
やはり塩分濃度が高く、市場へは売り出せないとのこと。
でも、地域の販売所で少しは売れるということで(売値は微々たるもの)『諦めないで頑張れば何とかなるっちゃ!』と奥さま。
『茄子は震災以前よりも大きく育った』と奥さま。。
作業している間も我々に何度も感謝の言葉をかけてくださいました。
『本当に有難いわ!』
『夢のようです!』
『ボランティアさんたちのおかげで、また野菜が作れます!』
お昼は、ブルーシートを用意してくださり・・
『みなさん、靴を脱ぐだけで疲れが取れますよ』
『ささ、みんなで座って一緒に食べましょう』
と10人とご主人さま、奥さま一緒のお昼となりました

しかも我々におにぎりを作って持ってきてくれました。
『宮城の美味しいお米で作ったおにぎりですよ~♪』と奥さま。
シソ梅のおにぎりでした。
大変美味しかったです!
ごちそうさまでした

食後は、
津波で被災された当時の話、お隣の集落では70人が亡くなられたというお話・・
『我々は生き残れただけでも儲けもん!』と話す奥さま。
いろんな話をしてくださいました。
ご主人さまの話で面白かったのが・・
普段(震災前)この辺の上空では毎日のように自衛隊のヘリコプターが飛んでいたそうで、
いつも『うるせ~なぁ!』
『無駄な税金ばっか使いやがって!』と思ってたらしいのですが、
震災後は自衛隊の皆さんのおかげで、ガレキ撤去やら遺体捜索やら炊き出しなど・・でとっても助かって感謝しているということで
『あの時は、あんな風に思ってしまって悪いことしちゃったな・・』
と話されてました(^^)
午後は3時頃までの作業でした。
結局、10人がかりでも最後までは終えることが出来ませんでした。
でもご主人さまも奥さまも
『こんなにもやっていただきほんと助かりました!』
『こんな素敵な皆さんと出逢えて、生きてて良かったわ~!』と。
最後は快く記念撮影もさせて頂きました。
(左から3番目がご主人さま、その下が奥さま)
出発の時も
何度も『ありがとう!ありがとう!』と言いいながら見送ってくださいました。
遠藤さん、こちらこそお世話になりました。
お二人の力強いその笑顔!
私たちが逆に励まされました。
一生忘れません。
ありがとうございました。
2011年07月17日
災害ボランティア‥vol.2
今回は桐生市災害支援ボランティアセンターが募集している
日帰りボランティア・バスツアーに参加しました。
費用は一人3000円のところを桐生市社会福祉協議会さんが1000円分を負担してくれるので、
2000円だけで参加できました。
とても参加しやすいです!

今回の支援先は宮城県岩沼市。
本日の作業は、岩沼市のとある地域で8月13日に慰霊祭を行うための
神社のガレキ撤去&泥出しでした。

6時、桐生駅を出発。
画像に写っているトラックはシャベルや一輪車を積んだ機材車。
バスと一緒に被災地へ向かいます。
11時、現地に到着。

こちらの平屋建ての神社関連施設が本日の作業現場です。
(お昼休みに撮影:撮影許可済み)

神社本体は木造建てなので、流されてしまったそうです。
画像↑の建屋手前の神様を祭られている場所が神社があった本来の位置らしいです。

たぶん、この写真の立派な建物が神社本体だと思います。
この地域には100軒ほどの住まいがあったらしいですが、
ほとんどの家屋が津波で流されてしまったそうです。
3軒ほどの民家と鉄筋コンクリート造の3っの神社関連施設だけが流されずに済んだそうです。
現場の建屋は天井裏に畳があったり・・
2mメートル以上の津波が押し寄せたんだと思います。

キレイになりました!!
15時、作業終了です。
15時半、現地出発。
地元の皆さんが手を振って見送ってくださいました。


田んぼはまだ手つかずです・・

21時、桐生駅に到着。
帰宅。
今後もこちらの桐生市災害VCさんのバスツアーに参加していきたいと思います。
※ 今回からブログネームを変更しました。
日帰りボランティア・バスツアーに参加しました。
費用は一人3000円のところを桐生市社会福祉協議会さんが1000円分を負担してくれるので、
2000円だけで参加できました。
とても参加しやすいです!
今回の支援先は宮城県岩沼市。
本日の作業は、岩沼市のとある地域で8月13日に慰霊祭を行うための
神社のガレキ撤去&泥出しでした。
6時、桐生駅を出発。
画像に写っているトラックはシャベルや一輪車を積んだ機材車。
バスと一緒に被災地へ向かいます。
11時、現地に到着。
こちらの平屋建ての神社関連施設が本日の作業現場です。
(お昼休みに撮影:撮影許可済み)
神社本体は木造建てなので、流されてしまったそうです。
画像↑の建屋手前の神様を祭られている場所が神社があった本来の位置らしいです。
たぶん、この写真の立派な建物が神社本体だと思います。
この地域には100軒ほどの住まいがあったらしいですが、
ほとんどの家屋が津波で流されてしまったそうです。
3軒ほどの民家と鉄筋コンクリート造の3っの神社関連施設だけが流されずに済んだそうです。
現場の建屋は天井裏に畳があったり・・
2mメートル以上の津波が押し寄せたんだと思います。
キレイになりました!!
15時、作業終了です。
15時半、現地出発。
地元の皆さんが手を振って見送ってくださいました。
田んぼはまだ手つかずです・・
21時、桐生駅に到着。
帰宅。
今後もこちらの桐生市災害VCさんのバスツアーに参加していきたいと思います。
※ 今回からブログネームを変更しました。
2011年05月21日
災害ボランティア‥vol.1
仙台市若林区でボランティア活動をしました。
作業時間は10時半~15時(昼食・休憩時間を含む)。
作業現場ではプライバシー保護のため撮影はNGですので、
周りの様子を数枚だけ撮ってきました。

8時過ぎ、ボランティアセンターに続々ボランティアの方々が集まってきました。
説明を受け、受け付け順に5~10人ほどの班を作り、リーダーを決めました。
私のグループは全員男性の5人編成でした。
私以外は皆さん地元の方々で3月から何度も活動されている方たちでした。
(心強かったです)
私たちのグループは若林区のある農家さんのお庭の泥出し作業でした。

この防水シールを左胸に貼り付けて作業しました。

震災から2か月経っているので、
道路は車が通れるようにきれいに片づけられていました。



(地区の公民館)

市街地にあった仮設住宅(まだ入居はされてません)。
このような建物が何十棟も建っていました。
早く入居できるといいですね。
作業時間は10時半~15時(昼食・休憩時間を含む)。
作業現場ではプライバシー保護のため撮影はNGですので、
周りの様子を数枚だけ撮ってきました。
8時過ぎ、ボランティアセンターに続々ボランティアの方々が集まってきました。
説明を受け、受け付け順に5~10人ほどの班を作り、リーダーを決めました。
私のグループは全員男性の5人編成でした。
私以外は皆さん地元の方々で3月から何度も活動されている方たちでした。
(心強かったです)
私たちのグループは若林区のある農家さんのお庭の泥出し作業でした。
この防水シールを左胸に貼り付けて作業しました。
震災から2か月経っているので、
道路は車が通れるようにきれいに片づけられていました。
(地区の公民館)
市街地にあった仮設住宅(まだ入居はされてません)。
このような建物が何十棟も建っていました。
早く入居できるといいですね。